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評価:
森 茉莉
新潮社
¥ 580
(1975-04)
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現代のBLの原点とも言われる、森茉莉の「恋人たちの森」を読みました。この人って何気に鴎外の娘なんだよなあとおもうと、泣けてきます。日本文学の巨匠の一人である森鴎外の娘の著作が、エンターテイメントにすら分類してもらえるのか怪しいBLの原点とか言われてしまうなんて・・・
ちなみにこれはママンの蔵書です。ママンはBLはダメだけど、少年愛っぽいのとか耽美っぽいのならいけるらしいです。
物語としては、美少年パウロ(日本人ですがこのように呼ばれています)とその年上の恋人ギドウ(フランス人と日本人のハーフ)の幸せな生活が崩壊するまでが描かれています。また、文中では美しいものを描写することに関して、作者がものすごい執念を持って書いているのがわかります。
さて、この物語をBL的な視点から見ていきたいとおもいます。
まず、この物語がBLの原点と呼ばれてしかるべきものかということについてです。この作品は、文学において少年とその男の恋人について扱った物語だということで、当時からしたら画期的だったのでしょう。しかし、注目すべきは、著者が描きたかったものが生々しさを伴ったただの同性愛というよりはむしろ、美への追求から発生した同性愛であるという点です。この考え方は、現在まで連なるBLの着想の根底にあるものだと思います。最近はそうでもないですけれども、基本的にBL(やおい、JUNE、耽美系なども含め)には美形しか出てこないですもんね。この点においては、文学の中にBLのベースとなる思想を含ませた彼女の功績は偉大であったといえます。
次に、恋人同士の関係性についてです。最近のBLを知っている私からしてみれば、登場人物二人の関係はBL作品で描かれるような恋人関係とは少し違っているようです。もちろんそれは作者が直接的な性描写をしておらず、関係の深度について匂わせる程度に終わらせていると言うこともあります。しかし、私が読んだかぎりでは二人の関係は、古代ギリシャにおいて年長者が少年の精神面・肉体面ともに多岐にわたってを指導・教育し、なおかつ寵愛したという、少年愛の構図に見えます。
加えて、稚児と言われるべきパウロが、年上で経済的にも助けてくれているギドウにちっとも支配されているように見えないことも特徴的だとおもいます。むしろ、彼もギドウもいつも自由奔放に振舞い、お互いに女の恋人もいます。もちろん、二人とも女性に対してはちっとも本気ではないのだけれども。そのつかず離れずの距離感も、昨今のBLとは違っているようにおもいます。
最後に、物語の終盤に起こる悲劇は、ハッピーエンドを重視するBLよりはむしろ、JUNEっぽいなあと思いながら読みました。なおかつ、それが恋人同士の間で終始するものではなく、諸行無常というかそういう世界の大きな動きを感じさせるものでありました。やはり狭い世界のなかで終わってしまうBLとは一線を画しています。
ここまで書いておいて言うのもなんですが、私、そこまでこの人の文章が好きではありませんでした。だってざーっと読んでしまいたいのに、へんなところで読点が入って奇妙な息継ぎをさせられたりするんだもの。それについていくのが疲れました。。。でもまだ呼んでみようとおもいます。すべてはBLへの理解を深めるためです。
このレビューを書いていて、私はBLは少なくとも文学ではないけれども、ではエンターテイメントなのか、と言う疑問にぶつかりました。エンターテイメントの三大要素は「エロ・暴力・他人の不幸」だというのでおそらくはエンターテイメントなのでしょう。しかし、けっして上質のエンターテイメントだとは言い張れない、後ろ暗さを抱えているのも確かだと思います。